NISS'99 講義録 タイトル:多細胞同時記録実験の必要性と方法      −現状と問題点− 講  師:櫻井芳雄 レポーター:山本純(前編)、坂田秀三(後編) 1. はじめに 脳はその多様で独特な高次機能をどのようにして実現しているのであろう か?一体そこではどのような情報処理方式が採られているのであろうか?この 誰もが思いつきそうな問いは、実際に脳を研究する立場からは意外と意識され ていない。すなわち図1に示すように、生体の脳では細かく役割分担された機 能によりさまざまな情報処理が行われているが、それらの役割を明らかにした だけでは、脳の情報処理機能を具体的に明らかにしたことにはならない。 図1 脳における情報処理 現在隆盛の一途をたどる脳の実験的研究は、ある機能にどの伝達物質が関わ っているのか(what)、あるいは、ある機能にどの部位が関わっているのか (where)、に関するものが圧倒的に多い。ある機能がどのように処理され実現 されているのか(how)に焦点を当てた実験的研究は極めて少ない。何よりも脳 内で何が情報処理の基本コードであるのか、つまり情報表現(符号化)の基本 的単位さえもまだ明らかではない。それをまず明らかにし、そこから情報処理 方式について解明してゆくことこそ、ミクロな伝達物質からマクロな機能地図 にまたがる、様々なレベルの研究成果を統合してゆく鍵である。またそれは、 脳に関する膨大な実験的データと、急速に発達しつつある脳の理論的研究との 協調と統合への道でもある。 記憶情報処理の謎 1) どのようにしてほぼ無限の情報を蓄えることができるのか? 2) どのようにして情報と情報を連合させることができるのか? 3) どのようにして情報を類似性によりカテゴリー化できるのか? 4) どのようにして異なる情報を並列に処理できるのか?               何が情報をコードしているのか? 図2 脳内情報処理の解明へのアプローチ 例えば記憶を例にとると、記憶は柔軟に変化しうるダイナミックな働きを持 つと考えられる。図2に示したような脳内情報処理を明らかにする際に、どこ が情報を処理しているといったアプローチではなく、どのように情報を処理し ているのかを明らかにするアプローチでないと、前述のダイナミックな機能の 解明に対する回答は得られないと考える。そのアプローチの初期段階で明らか にする必要があるのが、情報のコーディングである。 2. ニューロン活動記録実験の目的  脳機能の中でも特に高次な情報処理の研究となると、脳のどこが関与してい るかという、マクロな機能地図の解明がまず先行する。事実、サルの破壊実験 やヒトの脳損傷例から、様々な情報処理に関する特定の脳部位の存在が、次第 に明らかになってきた。脳損傷を作る破壊実験は、脳と行動とを対応させる研 究の古典的かつ基本的方法であり、最近開発が進んである脳活動の非侵襲的計 測の方法と対応させることで、マクロな機能地図に関する多くの知見を、今後 も提供してくれるはずである。しかし、言うまでもなく、そのような機能地図 は、脳のすばらしい情報処理の仕組みについては何も教えてくれない。そこで、 特定の脳部位内での情報処理の動態について直接測定し解析する方法となると、 微小電極による単一ニューロンの活動記録となる。 この技術はすでに1950年代に開発されており、これまでの膨大な研究成果から、 各ニューロンはそれぞれが個性的であり、その個性も脳の部位ごとに異なるこ とがわかっている。ところが、そのような研究で主に用いられるロジックは、「○ (部位)には△(働き)を持つニューロンが多く存在した。よって○は△に関 与する」というものである。もちろんこのような知見も十分に意義がある。し かし、せっかく脳というシステムを構成するニューロンの動態をリアルタイム で計測していながら、破壊実験と同様にマクロな機能地図の作成だけを目指す としたら何とももったいないし、そのほうがロジックでは、脳の情報処理の仕 組みは何も解明されない。また、当然のことながら、脳部位の機能はそこでの 超複雑な回路網の働きにより実現されているにも関わらず、ある特性をもつニ ューロンが多いか少ないかで、その部位の主な機能が決まるとしたら、脳はニ ューロンという有権者による単なる多数決で、各部位の機能を決めていること になる。ニューロン回路網の中での個性の相互作用や協調自体には、果たして 意味がないのだろうか?ニューロン活動の記録実験にとって今後必要なことは、 超複雑な回路網の構成単位を対象としていることを意識しながら、その動態を 解析することであり、さらにそこから脳の情報処理用様式の解明へと進むこと である。 3. 単一ニューロンから動的神経回路へ       (A)        (B)       (C) 図3 典型的なニューロンモデルと実際のニューロン 図3に神経細胞としてのニューロン(A)、典型的なニューロンモデル(B)お よび実際のニューロン(C)を示した。数理モデルの構築の際には(B)に代表 されるような簡略化されたニューロンが用いられるが、実際のニューロンでは 周辺の神経細胞から数千から数万のシナプス結合があり、神経細胞はまわりの シナプスに埋もれて存在しているといえる。  ニューロン活動の解析から脳の情報処理様式の解明へと進む際、まずはじめ に明らかにしておかねばならない大問題がある。単一ニューロンの活動と複数 ニューロン集団の活動のどちらが、情報の基本コードかである。全ての情報や 事象はそれぞれ対応した特定のニューロンにより脳内で表現されるというのが、 単一ニューロン主義(single neuron doctorine)である。外界の刺激認識に関し ては、認識細胞説やお婆さん細胞説などとも言われる。もちろんこの場合の単 一とは、ある情報を表現するニューロンが脳内に1つだけあるという意味では ない。その様なニューロンは多数存在するが、情報を表現する単位は個々のニ ューロンという意味である。  例えば、動物に様々な刺激を見せながらニューロン活動を記録して、図4の ような実験結果が得られたとする。その時、刺激Aに対してより発火を増大さ せたニューロンがあったとしたら、それは脳内でAを表現するニューロンと解 釈される。普通このような実験では同じ刺激を数回から数十回繰り返し提示し、 その都度の活動を全て足し合わせた加算平均ヒストグラムによりニューロン活 動を表す。しかしその動物や我々がAを認識するには、よほど注意散漫でない 限り、繰り返し加算は必要はないのである。つまり、このような不安定なニュ ーロンが単独でAを表現しきれるとは、とても考えられない。 図4 ある動物実験で計測された神経活動 ほとんどのニューロンは常に不規則な自発発火を繰り返しており、発火間隔 に変動を表す標準偏差は、平均値とほぼ同じで極めて大きい。確かに切片標本 を用いた最近の研究は、ニューロン自体には正確なタイミングで発火する能力 があることを示している。しかし、膨大な数のシナプスから入力を受け取って いると、細胞全体の巻く電位には常に脳波のようなランダムな変化が生じてし まう。そしてそれが不規則に閾値を越えることで、ランダムな自発発火を繰り 返す。それでも、特定の事象に対した時のみ極めて高頻度に発火すれば、S/N 比(信号雑音比)は良くなり得る。しかし、そのような発火はそこでゆがんで しまい、あまり意味をなさないという。結局、単一のニューロンはどれもS/N 比の悪い不安定なしろものであり、情報を十分に表現する単位にはなり得ない。  さらに単一ニューロン主義については、次の問題点もよく指摘される。 1) 単一ニューロンの発火は、次のニューロンの細胞膜に極めて小さな変化 しか起こしえず、単独ではほとんど無力である。 2) 実験場面で恣意的に選んだ事象の中でさえ、1つのニューロンがそれら のうちの複数に応答することも多い。 3) ある特定の機能に関わる脳領域が壊れた際、他の部位がその機能の代行 することがある(ニューロンの機能変化による代償)。 また、実験事実に基づかなくとも、以下の問題点は容易に思いつく。 1) 事象の組合せは新たな事象を生み(お婆さん→帽子をかぶったお婆さん →帽子をかぶって自転車を運転しているお婆さん)、それは無数に作れる が、有限な個々のニューロンでこのほぼ無限な事象に対応できるか(組 合せ爆発の問題)。 2) 情報間の連合、分離、類似度、構造化等を、個々のニューロンで十分に 表現できるか。 3) 多数のニューロンが毎日死滅しているにもかかわらず、脳内の情報が 次々と死滅していかないのはなぜか。  これらのことから何らかのニューロン集団が協調的に働くことにより情報を 表現するという、集団的・協調的符号化(population ensemble coding)をどう しても考えざるをえない。ただしここでの集団という言葉は、個々のニューロ ンが無個性で均質であり集団となってはじめて意味を持つ、ということではな い。ニューロンが個性的であるということはすでにわかっている。それら個性 の協調が情報を表現するということである。つまり、単一ニューロンの個性を 生かしながら、少数の局所集団から膨大な大集団までのどこをも含みうる、連 続性のある動的な回路を、脳内情報を表現する基本的単位と考えるべきであろ う。 4. 動的神経回路としてのセル・アセンブリ 情報を担いうる連続性のある動的な回路は何かとなると、かつて心理学者 D.O.Hebbが唱えたセル・アセンブリ(cell assembly細胞集合体)をまず思いつく。 セル・アセンブリとは図5に示したように協調的ニューロン集団により随時形 成される機能的回路である。 図5 セル・アセンブリの概念図 例えば、あるAという情報を保持するのに用いられたニューロン集合があった とすると、情報Bの保持では一部情報Aと重複するニューロン集ci表現さる とする概念である。すなわち、個々のニューロンが機能の異なる複数の回路に 重複して結合し、なおかつ必要な情報処理に応じて回路内や回路間の結合を変 化させ大小の閉回路を随時形成する。複数の情報処理の同時進行が可能なわけ で、まさしく脳独特の並列分散処理の実現である。同じ性質のニューロンが単 に集まるだけの量作用説(mass action)とは異なり、回路内の個々のニューロン もある程度の個性をもっている。回路を構成するニューロンを結合するシナプ ス強度の増減は、Hebb則、つまりシナプス前ニューロンと後ニューロンの活動 相関により抑制される。セル・アセンブリの主な特徴は2つあり、1つは異な る回路間でのニューロンの重複(neuron overlapping)、もう1つは機能的シナ プス結合の変化による回路自体の動的変化(connection dynamics)である。これ がそれを実験的に検出する際のカギになる。(櫻井、1998a、Sakurai、1996a; 1998ab,1999)  このようなセル・アセンブリの概念を実際の実験で直接検出することは困難 であり、現段階ではほとんど不可能である。そこで、その検出に図6に示すよ うな電気生理学の技術を応用しようという試みがなされるようになってきた。 図6 電気生理学的アプローチ  初期の電気生理学的アプローチ(図6左図)では、主に単電極を脳内に挿入 して計測するシングルユニットの計測が盛んに行われてきた。この方法では、 どのような役割を担うニューロンがどのような範囲に分布をしているのかを明 らかにするという目的は達成された。しかし前述のように、柔軟に構造を変化 させる機能的な神経回路の計測にはシングルユニットの計測では何も捉えるこ とはできない。そのために図6右図のように大きくわけて二つのアプローチが 考えられてきた。ひとつは脳全体を直接測定するような新技術の開発であるが、 有力な確立した方法はまだない。他方、電気生理学的アプローチは、脳全体を 直接測定しないまでも、ダイナミックな情報処理が実現されているであろうと いうことを部分的な状況証拠として検出するために従来の電気生理学的方法を 応用しようというのが、マルチユニット、つまり多数のニューロン活動の同時 測定というアプローチである。ここで注意しなければならないのは、マルチユ ニットの計測、すなわち多数ニューロンの同時測定という方法は脳の回路網を 直接捉える方法ということではなく、脳がダイナミクスで働いているというこ とを示唆する部分的な証拠を得るための間接的な方法にすぎないということで ある。 5. 多細胞同時記録実験の方法 セル・アセンブリという動的で機能的な回路を直接測定するための新技術は、 光学的測定法などを中心として次第に開発されつつあるが、決して容易ではな い。そこで、従来のニューロン活動記録する技術を応用し改善することにより、 回路の部分的な活動を検出し、その背景にある回路網全体の働きを明らかにし ようとする方法が、多細胞同時記録であり、マルチニューロン活動の同時記録, マルチユニットの記録(multiunit recording)、多点同時記録(multichannel neuronal recording)などとも呼ばれる。 個々のニューロン活動を、多数しかも同時に測定するためには、三つの基本 的技術が必要である。すなわち、記録電極の作製と選定、電極の配列と操作、 データの取り込み、である。以下、その順に簡単に解説する。なお、ニューロ ン活動の記録に関する基本的な解説として櫻井(1998b, c)が、また、多細胞同 時記録から解析に至る最近の優れた解説として伊藤(1998)がある。さらに、こ の技術による研究の隆盛を示すものとして、より詳しい単行本も最近は相次い で出版されている(Eichenbuam & Davis, 1998; Nicolelis, 1998)。特にNicolelis (1998)は多細胞同時記録の技術的な方法からその解析方法まで、非常に詳し く解説されている。 5-1. 記録電極の作製と選定 記録電極は、大きく2つのカテゴリーに分けられる。第一に、従来の微小電 極を利用する方法である。この方法は脳のいくつかの領域にわたって複数ニュ ーロンの活動を同時記録するのに向いている。Nicolelisらはこの方法を用いて、 100個以上のニューロン活動を同時記録することに成功している(Nicolelis, 1998)。しかしながら、従来の微小電極を単に並べただけでは、電極間の距離が どうしてもある一定以上離れてしまい、回路を構成しているはずの近傍の多数 ニューロンから同時記録することは難しい。そこで、第二の方法として、個々 の電極の先端を工夫することで、狭い範囲に存在するほぼ全てのニューロンの 活動を同時に検出する特殊電極が、いくつか考えられている(図7)。先に挙げ た電極が大域的な回路の記録に向いているとするならば、こちらは局所的な回 路の記録に向いている。この特殊電極は、いずれも一本の電極に多数の記録点 を設けたものであり、多点電極などと呼ばれる。例えば、マルチファイバー電 極はThomas社から市販されており、シリコンプローブ電極はミシガン大学の Center for Neural Communication Technologyから供給されている。またその ような電極自体に、増幅回路やマルチプレクサ回路等を焼き付けたものもあり、 例えば32点の記録点からの信号を増幅し同時測定することが可能な電極もある。 ステレオトロードやテトロードと呼ばれる電極は自作されることが多い。ステ レオトロードやテトロードを用いる利点は二つある。第一に、海馬錐体細胞の ように、バースト状に発火して個々のスパイクの形状が短時間のうちに変化す るようなニューロンも分離可能であるということである。このようにバースト 状に発火するニューロンのスパイクの分離は、従来の単一電極では困難であっ た。第二に、大脳新皮質の4層のように密に詰って存在する小型のニューロン の記録も可能であるということである。以上のような利点があるものの、記録 部位の数が増えた分だけ、ステレオトロード電極、テトロード電極一本あたり、 より多くのデータを保存する必要がある。また、オンラインでの解析は不可能 なことから、記録後の解析に膨大な時間が必要とされる。  したがって、どのような電極にも、それぞれ一長一短があり、それぞれの研 究目的に応じて使用する電極を選ぶべきであろう。  5-2. 電極の配列と操作  より多数の電極を刺入したい場合は、市販のワイヤー電極(Californica Fine Wire社やAM-Systems社など)を多数配列して慢性的に埋め込む方法が適してい る。例えば何十本ものニクロムワイヤーをポリエチレングリコール(#4000)で 一時的に固め、脳内に埋め込むことが可能である。ポリエチレングリコールは 体温で溶けて代謝吸収されるため、ワイヤー電極のみが脳内に残り、その柔ら かさのために脳の動きと連動することから、極めて安定した長期間記録が可能 となる(Floating電極)。図8に示したのは、著者が以前使用していたものであ る(Sakurai, 1990a; 1990b)。しかし,電極の本数を少なくしてでもそれを脳 内で動かせる可動電極の方が、ニューロン活動の検出にはより効率的な場合も 多い(図9)。ラットの場合は,マイクロドライブと呼ばれる装置を頭蓋骨上に 固定し、その可動部分に電極を複数配列し、可動部分を操作することで電極列 を随時脳内へ刺入していく(図10; Sakurai, 1993; 1994; 1996b)。ラットは 自由行動の状態で実験することが多いため、マイクロドライブはまず軽量であ ることが必要であり、接続用ソケットも頭蓋上にしっかり固定し、ラットの後 肢によるひっかきから守るためのガードも装着しなければならない。この方法 をさらに拡張して電極の本数を増やし、個々の電極も個別に操作できるように したものが、最近市販されているハイパードライブ(Kopf社)である。これら マイクロドライブやハイパードライブをより小型化すれば、マウスへの使用も 可能である。  サルを用いる場合は、頭部を固定する場合がほとんどであるため、複数電極 の操作が可能なマニピュレータと操作システムを記録時に頭部に装着し、課題 遂行中に電極を個別に動かすことが可能である。また、課題遂行中に電極を動 かす必要がなく、比較的長時間の記録を必要とする場合は、上記のラット用マ イクロドライブを改作してサルに使うことも可能である(図11)。これらのマ ニピュレータ方式とマイクロドライブ方式にも、それぞれにいくつもの長所と 短所があるため、実験目的に合わせ使い分ける必要がある。   5-3. データの取り込み 検出したマルチニューロン活動をデータとして取り込む場合、まず個々のニ ューロンの活動に分離しなければならない(スパイク・アイソレーション、ス パイク・ソーティング)。マルチニューロン活動の記録のほとんどは細胞外記録 であるが、その場合、同じニューロンからのスパイクでも、電極とニューロン との距離により、その波形はかなり変動することもある(図12)。このような ことから、テンプレート・マッチング(template matching)やウエーブフォー ム・マッチング(waveform matching)と呼ばれる方法、すなわち、スパイクの 全体的な波形に基づき個々のニューロン活動に分離する方法は、適切でない場 合もある。そこでスパイクを、その波形がもつ様々なパラメータ毎に分類し(ス パイクの高さ、時間幅、電位変化の時間、他)、それらパラメータの変動を相対 的に比較することで、個々のニューロン活動に分離するという方法が採られる ことも多い。これをクラスター・カッティング(cluster cutting)と呼ぶ(図 13)。この方法を用いれば,たとえスパイク波形のあるパラメータが変動して も、それが連続的に一定の範囲(cluster)内に収まっており、さらに他のパラ メータと一定の関係を保っていれば、同じニューロンからのスパイクであると 判定することができる。この方法は、異なる電極で記録されたスパイN間に見 られるパラメータの変動をも比較することで、アイソレーションの精度をより 上げることができるため、先に紹介した様々な多点電極と共に用いられること が多い。特にステレオトロード電極やテトロード電極と共に用いると、より有 効である。ただし、テトロード電極はステレオトロード電極の倍の電極を用い るが、検出できるニューロン数も倍となるわけではない。著者の経験によると、 テトロード電極1本当たり平均3個前後で、5個以上のニューロンが同時に記 録できることは極めて稀である。また既に述べたように、これらの電極を用い る際のクラスター・カッティング等の解析には、かなりの時間を要するため、 オンラインでデータ収集と解析を済ませようとする実験には適さないことも多 い。また、このスパイクアイソレーションは、いかにS/N比の高いシグナルを得 られるかに依存しており、S/N比の低いシグナルの場合、どのように優れた解析 法を用いても、スパイクの分離は非常に困難になる。したがって、電極の選定 →電極の配列と操作→データの取り込み、という基本的技術は三位一体のもの として考える必要がある。  また、テンプレート・マッチングやウエーブフォーム・マッチングは、専 用のソフトも市販されているが(Signal Processing社など)、そのためのシス テムをある程度自作することも可能である。クラスター・カッティングのよう な複雑な処理となると、専用のソフトを搭載した市販のシステム(Data Wave社 など)を用いることも多い。さらに行動実験用の課題も開発できるソフトと一 体になったシステムも市販されている(Sheldon Hoffman社など)。しかしこれ らの既製品を使用する場合、どうしても個々の実験にとって不都合な箇所が出 てくるため、最近は独自のソフトとシステムを作成するラボも増えている。 5-4. データ解析の前提  以上の技術を駆使して集めたマルチニューロンのスパイク列を、従来のニュ ーロン活動の記録実験のように、そのままヒストグラムやラスター・プロット で表示しただけでは、それが回路網のどのような働きを表しているのか、当然 のことながら全くわからない。そのようなスパイク列から一定の意味を抽出す る方法こそが、データ解析法である。しかし、次章でも述べられるように、マ ルチニューロンの活動をまとめて解析し、回路網の働きを一気に表示し得る一 般的な解析法は未だ発展途上である。推計学的あるいは統計学的な観点から見 て、3つ以上の変数(ニューロン活動)間の相互関係と個々の変数の変動をま とめて可視化する方法など、まず不可能である。そこで、まず回路網の働きに 関する何らかの仮説を構築し、その仮説から当然導き出されるであろう局所的 な現象を順次検証していくということが必要になる。つまり何らかの仮説演繹 法こそ、マルチニューロン活動の解析の大前提であろう。  6. 技術以前に考えるべきこと より多数のニューロン活動を記録するためのハードウエアの技術は、日進月 歩の勢いで進んでいる。特に最近は、生理学者と電子工学研究者の共同研究に より、電極からの接続ケーブルさえ使わない完全無拘束の動物から、多数のニ ューロン活動を同時記録するシステムなども開発されており(山本他, 1999), 多細胞活動の同時記録実験は、今後ますます増大し進展するはずである。つま り、電極の選定→電極の配列と操作→データの取り込み、については、技術的 な困難さはまだあるものの、それを克服しつつ進展し、膨大なデータが蓄積さ れていくことは間違いない。しかし多細胞同時記録実験が、その目的、つまり 神経回路網の動態の解明に到達するためには、二つの重要な課題がある。第一 に、学習課題の開発である。セル・アセンブリという脳の情報処理におけるダ イナミクスを解明するためには、様々な情報処理に依存した活動をとらえる必 要があると考えられる。実験的には、実際に情報処理を行なっている動物を用 い、実験者側が情報の操作をすること、つまり、複数の課題を一個体に行なわ せることが必須であると考えられる。そして、第二の課題は、得られたデータ から本質的な情報を得るためのデータ解析法の開発である。そのためには、先 に述べたように、回路網の働きに関する有効な仮説の構築からまず出発しなけ ればならない。結局、この方法による研究の真価を決めるものは、実験のハー ドウエアに関する技術というよりも、それを活かすための、脳の情報処理に関 する理論的枠組みとモデルの構築なのである。 以上のように、多細胞同時記録法を通して神経回路網の動態を知るためには、 実験の枠だけに捕われるのではなく、理論的な視点も持った上で取り組む必要 がある。来るべき21世紀へ向けて、理論家と実験家が共同で研究することは もちろんであるが、それぞれの研究者が「理論も実験も一人でできる」ように なることが要求されるであろう。 参考文献(本文中に示したもの) * Buzaki, G. et al.: Pattern and inhibition-dependent invasion of pyramidal cell dendrites by fast spikes in the hippocampus in vivo. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A., 93: 9921-9925, 1996. * Eichenbaum, H. and Davis, J. L. (Eds.) : Neuronal ensembles: strategies for recording and decoding. Welly-Liss, New York, 1998. * 伊藤浩之 : 多細胞活動同時測定法. 医学のあゆみ, 184:599-605, 1998. * Jung, M. W. et al.: Comparison of spatial firing characteristics of units in dorsal and ventral hippocampus of the rat. J. Neurosci., 14: 7347-7356, 1994. * Nicolelis, M. A. L. (Ed.) : Methods for neural ensemble recordings. CRC Press, New York, 1998. * 櫻井芳雄 : ニューロンから心をさぐる. 岩波書店, 東京, 1998a. * 櫻井芳雄 : 脳神経科学の研究法?電気的活動記録法. 新生理心理学(宮田洋 監修), pp.62-65, 北大路書房, 京都, 1998b. * 櫻井芳雄 : 多数ニューロン活動の同時記録法. 脳の科学, 20:1233-1237, 1998c. * Sakurai, Y. : Hippocampal cells have behavioral correlates during the performance of an auditory working memory task in the rat. Behav. Neurosci., 104:251-261, 1990a. * Sakurai, Y. : Cells in the rat auditory systems have sensory-delay correlates during the performance of an auditory working memory task. Behav. 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Rev., 1999 (In press). * 山本純, 高橋宗良, 塚田稔, 安西祐一郎 : Analog FPAAと組込用MCUを用い た完全無拘束動物実験のための多点ニューロン同時計測システムの開発. 日本 神経回路学会誌, 6: 3-10, 1999. ----------- 本文中に登場する図の概要 図1 脳における情報処理の概念図 図2 脳内情報処理の解明へのアプローチの図 図3 典型的なニューロンモデルと実際のニューロンの図 図4 ある動物実験で計測された神経活動の計測データ 図5 セル・アセンブリの概念図 図6 電気生理学的アプローチの概念図 図7 様々な多点電極の先端部 図8 多数埋め込み電極の例 図9 電極の様々な配列例 図10 ラット用マイクロドライブの例 図11 サル用テトロードアレイ、マイクロドライブの例 図12 4点からの同期記録がシリコン電極(左)と、それにより海馬の錐体細    胞から記録された4つのスパイク列 図13 1本のテトロード電極を構成する4本の電極(ch1-4)それぞれから記録    されたスパイク(右)と、電極1(ch1)と電極2(ch2)から記録された    スパイクの高さを相対的に示したクラスターの分布