\documentstyle[a4j,subeqnarray]{jarticle} \begin{document} \title タイトル:脳の情報表現:発火周波数,時間パターンと細胞モデル     講師:銅谷賢治     レポーター:雨森 賢一・黒田 真也 \date{平成11年 8 月 22 日} \maketitle \section*{はじめに} この講義の目的は、まず共通の土俵で議論するために、スタートラインをそろえ ることにある。それでは今回のスクールのテーマである「大脳皮質の情報表現」 についての簡単なイントロダクションからはじめよう。脳の情報処理は多数の神 経細胞がスパイクを介して相互作用することによって行われているのだが、その 神経細胞のスパイクが何を意味しているのかといった問題は、当たり前のことの ようでありながら、いまだに未解決の問題として残っている。それに関して、大 きく分けて、発火周波数に情報がのせられていると考える rate coding (発火率 表現) の考え方と、発火タイミングに情報があるとする temporal coding (タイ ミング表現) の考え方がある。特に rate coding の考え方は歴史も古く、統計 的な枠組みでアプローチで様々な理論が発展してきている。テンポラルコーディ ングの立場は、さまざまな情報処理を分散して行っている脳の領野が、互いに関 連ある情報をどのようにして混線することなく連絡しあっているのか、というい わゆるバインディング問題から議論が始まっていて、そこに発火のタイミングが 使われているのではないかと考えられている。実験事実としては、たとえば視覚 野の同期発火が見られるといったものがある。 (「大脳皮質の情報表現」について、のスライドを入れる) このサマースクールのねらいは、このような大脳皮質の情報表現を、細胞レベル、 局所回路レベル、さらに大脳のいろいろな局所回路をつなぐダイナミクスのレベ ルから捉え、情報処理がどのようにして実現されているのかという問題に焦点を 当て、大脳の情報表現に根ざした統計的な情報処理のモデルや、具体的なスパイ ク列の解析のメソッドなどを見ていくことにある。 さて、この講義ではスクールの主題である「大脳皮質の情報表現」について簡単な イントロダクションを通して、予備知識を整えておきたい。特に、マクロな視点 からの大脳皮質の位置づけと、ミクロな視点からのニューロンの情報表現、そし て、単一のニューロンモデルについて概説しよう。 \section{大脳皮質の位置づけ} \subsection{解剖学的、発生学的な位置づけ} 哺乳類、特にヒトの中枢神経系を解剖学的に分類すると、脊髄、後脳(延髄、小 脳)、中脳(網様体、多種の神経核)、前脳(視床、基底核、旧皮質、新皮質) に分類される。今回のテーマである大脳皮質は、このうち前脳に属している。大 脳皮質は、発生学的に新皮質とも呼ばれ、哺乳類になってから発達した脳組織で あって、霊長類、とりわけ人間において発達している。その意味で、大脳皮質の 情報表現は脳の全体の情報表現を説明するものではないが、ヒトに至る進化の特 徴的な側面を捉えているのではないかと考えることもできる。脳の情報表現の解 剖学的な詳しいことは、後述の金子先生の講義を参照してほしい。 \subsection{回路構造と計算様式による位置づけ} 次に、大脳皮質を脳の回路構造の特徴から分類してみることにしたい。 回路構造の特徴を見るために、ここでは小脳、基底核、大脳皮質の比較を行お う。まず、その情報の流れから回路構造を分類すると、(1) 直線的なフィードフォ ワード型、(2) フィードバックによる再帰的な双方向性型の二つが考えられる。 これらは必ずしも排他的なものではない。大脳皮質は、(2) のフィードバックに よる再帰型の代表である。もちろん、小脳や基底核もフィードバック回路は持つ が、基本的には (1) のフィードフォワード型であると言える。まず、フィー ドフォワード型の代表である小脳の神経回路と、そこで行われる計算論的立場か ら見た学習法について簡単に説明する。 \subsubsection{小脳の回路と計算様式} 小脳の神経回路における情報の流れは、小脳からの最終的な出力の一部が視床や 脳幹から大脳皮質を介してフィードバックされる回路となっているもの、小脳内 では直線的なフィードフォワード回路であると言える。小脳には、唯一の出力細 胞である Purkinje 細胞がある。この Purkinje 細胞には、2種類の主なシナプス 入力がある。ひとつは Granule 細胞からの神経線維である平行線維であり、ひと つの Purkinje 細胞に数万個のシナプスを形成していることが知られている。も うひとつは下オリーブ核からの神経線維である登上線維であり、ひとつの Purkinje 細胞にひとつの登上線維が入力している。Purkinje 細胞は、これらの 2種類の入力信号を受け取り、計算結果を出力する。Purkinje 細胞へのシナプ ス入力のうち、登上線維からの入力信号は腕や眼球などの運動における目標軌道 と実現軌道の「誤差信号」であると考えられている。小脳の機能は、この誤差信 号を「教師信号」として Purkinje 細胞のシナプス荷重が変化し、誤差が少なく なるように学習することにあると考えられている。このことから、小脳の計算様 式はいわゆる「教師付き学習」であると言える。 (小脳の回路の図を入れる) \subsubsection{基底核の回路と計算様式} 基底核の神経回路も、内部にフィードバック回路やパラレルな回路は存在するものの、 全体としてはフィードフォワード回路である。基底核の線状体は、ドーパミン細 胞に信号を送る部分と運動野に信号を送る部分から構成されている。さらに、中 脳の黒質からのドーパミン入力があることが大きな特徴である。生理学的な実験 結果から、このドーパミンの入力は、あるタスクがうまく行ったかどうかの「報 酬信号」と考えられている。基底核は、この「報酬信号」を最大化するような行 動を見つける機構を持つと考えられている。すなわち、基底核の計算論的様式は、 「強化学習」であると言える。「強化学習」は、「教師付き学習」と異なり、目 標とすべき出力は与えられないが、試行錯誤して目標を達成すると報酬が得られ ることにより学習するものである。その学習の特徴は、未知の環境においても、 試行錯誤することにより、その状況に応じて行動規則を変化させる点にある。 (基底核の回路の図を入れる) \subsubsection{大脳皮質の回路と計算様式} 大脳皮質の神経回路は、小脳や基底核とは異なり、非常に多くの双方向性の結合 をしている点が特徴である。大脳皮質はよく知られるように6層からなるが、各 層間で互いに結合している。また、領野間の結合関係を見ると、図の左側の低次 (第一次視覚野や第一次運動野)の領野の表層の1-3層から右側の高次(第二次視 覚野や運動前野)の領野の4層への結合と、高次の深層の5-6層からの低次 の領域の1-3層への結合が見られることから、領野間でも双方向性結合をしている と言える。さらに、大脳皮質からの深層からの出力は、小脳や大脳基底核を通り、 視床や脳幹を介してフィードバックされる。このように、localに見ても、 globalに見ても、情報の流れは一方向的ではなく、非常に強い双方向性回路であ る点が大脳皮質の回路の特徴であると言える。 (大脳皮質の回路の図を入れる) 大脳皮質の学習様式を考えると、大脳には小脳の登上線維や、基底核のドーパミン 信号に対応する強力な学習信号はないことから、その計算論的様式は「教師付き 学習」や「強化学習」と異なると考えられる。一つの仮説として、大脳皮質は、 いわゆる「教師なし学習」を行っていると考えられている。例えば20年ほど前か ら van der Malsburg、Amari、Fukushima らによって、入力信号の統計的性 質をもとに細胞の特性を決めるという計算論的なメカニズムが提案されている。 それによって、たとえば、猫の視覚野の細胞の特性が生まれたあとの視覚体験に 基づいて形成されるというHubel \& Wiesel らの実験結果の説明がなされてきた。 「教師なし学習」についての詳しい議論は、後述の阪口、樺島先生の講義を参照 してほしい。 \subsubsection*{Q \& A} \begin{itemize} \item [Q:] 感覚入力に関しては教師なし学習による捉え方は妥当と思うが、運 動系の情報表現はどうなっているのか? \item [A:] たとえば、ロボットの制御に必要な情報表現は、単にセンサ情報の 適切な情報表現にとどまらない。この場合、何を出力すればよいのか、 という行動の次元をも含んだ次元での適切な表現を探すことになる。こ の情報表現には強化学習の表現法がかかわってくる可能性がある。 \end{itemize} \begin{itemize} \item [Q:] 領野間の双方向性結合は、ニューロンレベルでの見られるのか、あ るいは、グループレベルで見られるのか。 \item [A:] ポピュレーションとしてはオーバーラップしていると考えられるが、 今のところはっきりしたことはわからない。 \end{itemize} \section{ニューロンの情報表現(rate codingとtemporal coding)} ニューロンの活動はスパイクという形で記録される。では、このスパイクはど のような情報を表現しているのだろう。実際のところ、ニューロンのスパイクが 何を表現しているのかは未解決の問題であるが、具体的に考えてみることにしよ う。例えば、一次感覚ニューロン、一次運動ニューロンなどでは、発火周波数が、 光の強さや筋肉の張力といった物理量と一意に対応している。また、一定刺激だ とスパイク間隔(ISI、inter-spike interval)もほぼ一定である。一方、大脳皮 質のニューロンでは、スパイクが何を表現しているか自明では ない。例えば、ある特定の刺激でないと応答しない場合もあるし、また、応答の 仕方も、試行間、試行中に大きく変わり、ISIが一定しない。この原因として、 もともと神経細胞に は精度の限界があるからだと考えられなくもないが、このばらつきが情報処理に こそ意味があり、複雑なもフをコードしていると考えることもできる。この視点 からまとめてみると (1) 発火率表現(rate coding)、(2) タイミング表現(temporal coding)の2つが考えられる。しかし、これらの境界は必ずしも明確なものではな い。さらに、それぞれの枠組みの中でも、どのように情報が表現されているかについ ては、いくつかの可能性がある。 \subsection{発火率表現} スパイクの発火率が、情報をコードしていると考えられるものの中でも、以下の 表現方法が考えられている。 \begin{itemize} \item [(1)] 要素表現:個々の細胞の活動が、入力信号の特定の要素の有無、 強弱を表わし、それらの線形和によって個々の物体、状況が表される。 例えば、個々のニューロンが色の強さや特定の傾きのエッジなど単純な 要素を表現している。 \item [(2)] 組み合わせ表現:要素表現のように、個々の要素にそれぞれのニュー ロンが対応してるのでは なく、単一ニューロンが入力信号の特定の組合わせを表現すること。例え ば、特定の人の顔の特徴の組合わせに反応する grand mother cell がそ れに当たる。実際に、特定の組み合わせに反応するニューロンも存在す るが、この表現のみですべての表現を行おうとすると、組み合わせ爆発 の問題が生じるため、すべてがこの表現方法をとっているわけではない と考えられる。 \item [(3)] ポピュレーション表現:個々のニューロンが、ひとつの個別の要 素に対応するのではなく、複数の次元に対して選択特性を持って応答す る表現法。この場合、個々のニューロンだけでは確かな情報はコードで きないが、複数のニューロンの集団 により、多次元の情報が非常に効率よく表現できる。例えば、運動野の 場合、腕の運 動方向のコーディングに際して、個々のニューロンは非常に広い選択特 性をもつが、複数のニューロン の選択特性の重心を計算すると、実際に適当な方向が表現されているこ とが知られている。 \item [(4)] 空間パターン表現:ポピュレーション表現の場合は、個々のニュー ロン自体にも、ある程度、選択特性があるが、この空間パターン表現の 立場では、細胞の集団としての活動のパターンが何らかの情報を表現し ていて、個々の細胞の活動は、それ自体と しては特定の意味を持たないとする。実際には、これを指示するデータ はそれほどないが、 ある種のモデルでは、空間パターン表現を想定されることがある。 \end{itemize} また上記の様々な表現法で、集団のうち実際に活動している細胞の率は低く 抑えられた「スパースな表現」が取られているという説も、実験的、モデル的 に支持されている。 \subsubsection*{Q \& A} \begin{itemize} \item [Q:] 空間パターン表現は、組み合わせ表現が複数あるものと考えてよい か? \item [A:] 空間パターン表現の場合は、ある情報を集団でコードしており、そ の情報を個々のニューロンレベルには分割できない点に特徴がある。した がって、単に組み合わせ表現が複数あるわけではない。 \end{itemize} \begin{itemize} \item [Q:] Rate coding の発火率を求める際に平均をとる時間間隔はどれぐら いか? \item [A:] 普通は、数10msから数100msのスケールで、発火率を求める。 複数のニューロンの集団になると発火数が増加するので、さらに短いタイ ムスケールでもよい。 \end{itemize} \subsection{タイミング表現} 発火率表現においては神経スパイクの頻度を時間的、空間的に適当な範囲で平均 した値に着目し、各スパイクがミリ秒のオーダーで出されるタイミングは問題に しない。しかし、そのような微妙なタイミングにこそ豊富な情報が反映されてい るという立場もある。次にそのタイミングに基づく情報表現の例をあげることに する。 \begin{itemize} \item [(1)] 時間差表現:例えば、どの感覚細胞からのニューロンのスパイクが 先に到着したかという情報が大事とされる場合がある。この場合、その後 のスパイクの入射頻度は問題とされない。 \item [(2)] 同期表現:複数の細胞が、ほぼ同期してスパイクを出すことが、例 えば信号源の同一性などの情報を表現している場合がある。たとえば一定 のリ ズムでの発火、例えば40Hzなどの一定の周期で同期することもあるし、正 確に同期というわけではなくても、細胞間のスパイクに強い相関がある場 合もある。後者はコヒーレンスと呼ばれ、その現象を用いた表現法も考え られている。 \item [(3)] 発火パターン表現:単一あるいは複数の細胞のスパイクの時間間隔 のパターンが、特定の情報をコードしている。すなわち、必ずしも同時に スパイクを出すわけではなく、一 定時間関係を保ったパターンが何かを表現しているのではないかという立 場がある。例えば、Abelesなどの synfire chain がそれに当たる。 \item [(4)] シナプス可塑性:LTP (long term potentiation) や LTD (long term depression) などのシナプス可塑性がスパイク入力の正確な時刻に依存し て変化し、そのことにより発火パターンをコードしていると考えることも できる。シ ナプス可塑性において、スパイクの入力と出力の時間差が重要な役割を果 たしていることが知られている。素朴なヘブ型学習則は、シナプス前細 胞と後細胞の活動度が同時に高まれば、伝達効率が上昇するというものだ が、最近は、そのスパイク時刻の微妙なタイミングに依存して、すなわち、 シナプス前細胞と後細胞のスパイクがどちらが速かったかによって、決ま ると言うことが知られている。 \end{itemize} さらに詳しい話は、深井、伊藤先生の講義を参照してほしい。 \section{ニューロンのモデル} 情報表現の問題を考える上で、ニューロンの数理モデルは欠かせないものであり、 その着眼点、目的に応じて様々なモデルが定式化されているが、ここではその代 表的なものを紹介する。 \subsection{Hogdkin-Huxley型モデル} Hogdkin-Huxleyモデルが提案された1952年当時は、神経細胞が電気的な興奮をす ることは分かっていたが、スパイク発生のメカニズムについてはまだ何も分かっ ていなかった。そのスパイク生成のメカニズムにはじめて踏み込んだモデルを立 てたのが Hogdkin-Huxleyモデルである。 彼らのアイディアは、電圧の変化は細胞内のイ オンの濃度の変化により、その制御は細胞膜によるイオン濃度を調節機構 によるのではないかというものであった。彼らはその仮定のもとで、電圧をステッ プ的に変化させたときの膜の電流の変化、すなわち電流のステップレスポンスを 調べることによって、細胞膜のイオン濃度の制御の方法を突き止めようとした。 これをvoltage-clamp実験という。彼らは、その実験から細胞のイオンチャネル が電圧に依存して開閉するということをイオンチャネルのダイナミクスから解き 明かし、神経のスパイク発生のメカニズムを明らかにした。 彼らは、スパイク特性を表現するためにはカリウムチャネルなら4つのサブユ ニット、ナトリウムチャネルならすばやく変化するサブユニットが3つ、遅い変化を 示すサブユニットが1つあるはずだと予測した。驚くべきことに、 voltage-clamp実験のみから得られたこれらの予測は、現在、分子生物学や電子 顕微鏡による研究から実際に存在すると確かめられている。 (イオンチャネルの図を入れる) Hodgkin-Huxleyモデルは、神経細胞を、その細胞膜をコンデンサ、イオンチャネ ルを動的な抵抗素子と考えた電気回路モデルである。 (チャネルの回路の図を入れる) その最も古典的な モデルは、イカの巨大軸索のもので、膜電位 $V(t)$ と電極から流れ込む電流 $I(t)$ の関係は、 \begin{eqnarray} I(t)=C\frac{dV(t)}{dt}+g_{Na}m(t)^{3}h(t)\left(V(t)-E_{Na}\right)+g_{K}n(t)^ {4}\left(V(t)-E_{K}\right)+g_{leak}\left(V(t)-E_{leak}\right) \end{eqnarray} という微分方程式で書かれている。ここで、$m(t)$ と $h(t)$ はナトリウムチャ ネルにおける2種類のサブユニットのそれぞれが開いている確率を表わし、$n(t)$ はカリウムチャネルのサブユニットが開いている確率を表す。すなわち、例えば上 式の右辺第二項の $m(t)^3 h(t)$ は、ナトリウムチャネルの4つのサブユニットが同 時に開いている確率に相当する。実際、すべてのサブユニットが活性化状態のとき にチャネルが開き、膜の電流が変化することが知られている。 サブユニットの活性状態の確率を表わす $m(t)$、 $h(t)$、 $n(t)$ は、それぞ れ下記の形の膜電位に依存する微分方程式に従う。今、$(x=m,h,n)$ としてそれ ぞれ、 (open-closeの図を入れる) \begin{eqnarray} \frac{dx(t)}{dt}=\alpha_{x}(V)\left(1-x(t)\right)-\beta_{x}(V)x(t) \end{eqnarray} なる微分方程式が成り立つ。これはちょうどそれぞれのサブユニットの活性化のダ イナミクスに相当するものである。ここで、チャネルが開いている確率が$x$で、 閉じている確率が$1-x$である。ここで、$\alpha_{x}(V)$ はサブユニットの開 くスピード、$\beta_{x}(V)$ はサブユニットの閉じるスピードを表わす。それ ぞれのサブユニットに対して、$\alpha_{x}(V)$、$\beta_{x}(V)$ の関数形を調 べる必要があるが、 それには、電圧に対するイオン濃度の変化を見る voltage clamp 実験が行われ る。特定のチャネルの特性を調べるためには、特定のチャネルをブロックする薬 品を使用し、ブロックした場合としない場合の差をもとにパラメータを決めれば 良いことになる。 モデルのダイナミクスを説明しよう。細胞内外のイオン濃度の差により、イオン 電流の平衡状態では $E_{Na}$は正、$E_{K}$ は負の価を持ち、膜電位 $V$ を上げてゆくと、ナトリ ウムチャネルの活性化 $(m\rightarrow 1)$ により、膜電位がポジティブフィー ドバック的に上昇し、それがナトリウムチャネルの不活性化 $(h\rightarrow 0)$ とカリウムチャネルの活性化 $(n\rightarrow 1)$ を引き起こし、再び膜電 位が下がるという形で、スパイク発生のメカニズムが再現される。 次に、スパイク発生時における膜電位とイオン濃度の関係を matlab でシミュレー トした図を載せる。 (演習問題の図を入れる) 左の図は、縦軸がカリウム濃度で、横軸が膜電位に相当する。スパイク発生時に 電位が上昇し、それにしたがって、カリウム濃度が上昇する。それにしたがって次 に電位が下降し、それによってさらにカリウム濃度が下がることが見て取れる。 右の図は上から順に、膜電位、ナトリウムの速い要素、遅い要素、カリウム、と なる。Hogdkin-Huxley モデルは 4次元のモデルだったが、膜電位とそれに依存 するイオン成分をまとめて表現することにより、2成分に簡略化した Fitzhugh-Nagumo モデルも膜電位の特性をうまく表現しているため良く用いられ る。 最近では、この2つのイオンのみならず、特に大脳皮質の細胞の場合、カルシウ ムの流入が重要とされている。カルシウムチャネルには、low voltage、 high voltage の電位依存性のものがあったり、さらに、ナトリウムチャネルにも、カ ルシウムの細胞内の濃度が上昇すると不活性化するような、カルシウム依存性の チャネルがある。複数の種類のカルシウムチャネルやカルシウム依存性のカリウ ムチャネル等、より多くの複雑なモデルにより、バースト発火などのメカニズム が説明されている。また、Hogdkin-Huxleyモデルでは軸索を一様なものと考えて いるが、例えば、細胞体や樹上突起などを考慮したモデルを立てることもできる。 この場合、細分化された各部分ごとに方程式を立てるので、コンパートメントモ デルと呼ばれる。これらの複雑な要素を考慮すると、単一の神経細胞においても 非常に高次の微分方程式の解析が必要になるため、それをどのように簡単化する かという問題が重要になってくる。 \subsection{Integrate-and-fireモデル} 先ほどのモデルは膜電位の変化を左右する様々な種類の電流を考えたが、それを シミュレートしたり解析で取り扱うのは複雑で、また細胞のイオンチャネル等に 関する細かい実験データが必要となるので、スパイク生成に関して簡単化が必要 となる。たとえば、単純にスパイクが瞬間的に立ち上がって、瞬間的にリセット されるとして、スパイクの発生メカニズムを作り込んでしまう場合のモデルが考 えられる。これを integrate-and-fire モデルと呼ぶ。この簡単化を行ったとし ても、入力電流を増やすと、発火周波数がだんだん高まる等、大まかな発火特性 はモデル化できるため、よく使用される。 (図を入れる) ただし、様々な特性が表現できる反面、スパイク発生の過程で瞬間的な変化を考 えるので、場合によっては元々のHogdkin-Huxleyモデルとはかなり違ってくるこ ともある。 その基本的なものは、スパイク生成の細かいメカニズムは考えず、入力の時間積 分によって細胞の膜電位が徐々に上昇し、ある閾値を越えるとスパイクが生成さ れるという現象に着目し、次式のように表わされる。微小時間間隔を $\Delta t$ として、 \begin{eqnarray} \left\{\begin{array}{ll} V(t+\Delta t)=V_{0} & \mbox{for } V(t)\geq V_{1}\cr \tau\frac{dV(t)}{dt}=-V(t)+I(t) & \mbox{otherwise} \end{array} \right. \end{eqnarray} と書く。すなわち、膜電位 $V$ が閾値 $V_{1}$ を越えると、スパイクが生成さ れると同時に、膜電位は初期値 $V_{0}$ にリセットされる。入力は時定数 $\tau$ によって減衰しながら積分される。 \subsection{Inter-Spike Intervalモデル} 今までのモデルは、膜電位の変化を対象としたモデルであったが、スパイク生成 のメカニズムについては考慮しない、現象論的なモデルとして inter-spike interval (発火時間間隔)に基づいた確率過程を利用してスパイク生成を行わせ るというモデルが考えられる。このモデルは、スパイク発生のダイ ナミクスは考えず、スパイク系列の特性、スパイク間隔がどのように変化したか を考察するに当たって使用される。 (ISIの図を入れる) 実験でスパイク系列の時間幅のヒストグラムを取るに当たって、まず想定される のは、一定間隔で、小さな揺らぎを持つとすることが多い。まずは、入力が一定 だったという仮定の下で、スパイク間隔のヒストグラムを作ることで、その周期 性を調べるわけである。実際、運動ニューロン、一次感覚ニューロンでは、比較 的こういった周期的な性質が成りたつ。この場合はガウス分布で書かれることに なる。 それに対して、大脳皮質では、きれいな一定間隔を持たない場合が多い。極端 な場合は、指数分布をとるとされる。この場合、スパイクが連続して発生するこ ともよくあるし、逆にスパイク間隔が延びることもある。そ の中間的な分布は、ガウス分布と指数分布の間をつなぐものとして例えば、ガン マ分布などがある。ガンマ分布のパラメータを変えてゆくことで、2つの分布を つなげることが可能である。指数分布を取る典型的な確率過程として、Poisson 過程がある。 (分布の図を入れる) Poisson過程とは、単純にいうと毎時刻あたりに発生するスパイクが一定の確率 で独立に決まる一種の記憶のない確率過程である。定義から、その周波数を $\mu$ として、スパイク数が時間 $t$ 間に $N$ であるとき、$N=k$ である確率 が Poisson分布で書ける。 \begin{eqnarray} {\rm Pr}\left\{N(t)=k\right\}=\frac{\mu^{k}e^{-\mu t}}{k!} \end{eqnarray} 対象とする時間間隔を微小に取ると、 \begin{eqnarray} {\rm Pr}\left\{N(\Delta t)=0\right\}=e^{-\mu \Delta t}\sim 1-\mu\Delta t\cr {\rm Pr}\left\{N(\Delta t)=1\right\}=\mu\Delta t e^{-\mu\Delta t}\sim \mu\Delta t \end{eqnarray} となり、発火確率は周波数に依存して時間ごとに独立に決まることが分かる。 このPoissonモデルは、ISIの平均と標準偏差が同じという、非常にランダム性の 強いモデルだが、ISIのヒストグラムがガンマ分布で与えられるとすると、その 次数を高くするにつれて、より周期性の強い発火モデルが得られる。 ニューロンの発火間隔のばらつきの指標として coefficient of variation が良 く用いられる。定義は、ISI を $T_{th}$ として、その平均と標準偏差の比: \begin{eqnarray} C_{v}=\frac{\sqrt{{\rm Var}[T_{th}]}}{\langle T_{th}\rangle} \end{eqnarray} と書ける。この基準では、$C_{v}=0$ のとき周期的で、$C_{v}=1$ のとき Poisson過程となる。例えば、スパイク時系列の $C_{v}$ を調べることで、周期 的な発火を行うのか、それともばらつきの強い発火を行うのかという性質に対す る基準となる。 大脳皮質の場合、$C_{v}$ の値が比較的大きなものとなり、そこでの議論として、 例えば、このようなバリエーションが発生するメカニズムはどのようなものか、 といったものや、あるいは、このバリエーションが情報処理にとって何の役に立っ ているのかといった問題が考えられている。 \subsection{シグモイドモデル} 入出力関係を発火周波数で表わし、入力の重みつき和に適当な非線形関数を欠け たものを対象とする細胞の発火周波数と見積もるモデルを rate model あるいは シグモイドモデルと呼ぶ。この場合、ニューロン のダイナミクスをきちんと表現することは難しいが、多数の細胞のモデルには向 いている。例えば、目標とする入出力関係が分かっている教師付き学習などの場 合では、重みの変化による学習特性の解析が可能となるなど、こういった素子で つくるネットワークの解析は比較的容易となる。 (図を入れる) このシグモイドモデルとintegrate-and-fireモデルをつなぐ条件、すなわち、ど のような条件下でシグモイドモデルがintegrate-and-fireモデルと同様に解釈で きるかといった問題に対しては、Amari や Wilson and Cowan 等の研究がある。 \section*{まとめ} 脳・神経系のモデルには、その物理スケールや抽象化の度合いに応じて、様々な バリエーションがあり得る。また、脳のメカニズムを理解したいという場合に、 「ある目的を持った情報処理機構はこうあるべきだ」というトップダウン的なア プローチと、「実際に脳の構造と活動をつぶさに調べることで情報を得よう」と いうボトムアップ的なアプローチがあり得る。これらはともすれば、「そんな地 に足がついていない理論に意味があるの?」とか、「そんな木をみて森を見ぬよ うな解析で何が分かるの?」と互いに批判し合うこともしばしばである。 しかし、脳のような複雑なシステムは、純粋にトップダウンあるいはボトムアッ プのアプローチだけで理解できるものではない。計算理論の側からのトップダウ ン的アプローチと、実験データに根ざしたボトムアップ的アプローチとを行った り来たりしながら、どこに接点を見いだせるかというのが神経情報科学の面白み ではないだろうか。 \section*{Q \& A} \begin{itemize} \item [Q:] 小脳や、基底核、大脳皮質の学習様式が、それぞれに特化した進化 的な意義は何か? \item [A:] ひとつのアルゴリズムを実現するためには、固有の回路構造が必要 であると考えられるので、それぞれに特化する必然性はあると考えられる。 たとえば無脊椎動物と脊椎動物を比較してみると分かりやすいだろう。無 脊椎動物では、ある機能を実現する ために、アルゴリズムごとに分けるよりも、歩行、視覚処理など最初から 機能分担が 目的ごとに遺伝的に決定され、回路構造が決まると考えられる。一方、哺 乳類などでは、生前は脳 のどの部位の機能を担うかが比較的決まっておらず、生後の発達によりフ レキシブルに決定されるのではないか。つまり、哺乳類などでは、最初か ら最小要素で機能を実現するよりも、多少無駄はあるが、学習アルゴリズ ムに特化して「る戦略を選んでいると考えられる。 \end{itemize} \begin{itemize} \item [Q:] グルタミン酸やドーパミンなどの伝達物質の働きはモデルの中では どのように書かれるのか? \item [A:] グルタミン酸やGABA($\gamma$-amino butyric acid)などの神経伝達 物質は、それ ぞれシナプス後細胞の膜電位に影響し、細胞を興奮させたり、抑制させた りする。一方、ドーパミンは、それ自身は膜電位に直接影響しないが、シ ナプスの可塑性を調節すると考えられている。したがって強化学習のモデ ルにおいて、ドーパミンは学習における方程式に関わってくる。 \end{itemize} \begin{itemize} \item [Q:] 大脳皮質のニューロンのシナプスの可塑性に、アセチルコリンなど が取り込んでいるmodelはあるか? \item [A:] アセチルコリンがシナプスの可塑性のmodulateしている実験結果は あり、例 えば大脳皮質の教師なし学習のスピードを制御してると考えられる。実際 に、海馬の記憶のgatingを制御しているmodelはある。また、アセチルコ リンがシグモイドの傾きを制御しているmodelも提案されている。しかし、 シナプス可塑性は、実際には様々なファクターによって 制御されていることを忘れてはならない。 \end{itemize} \begin{itemize} \item [Q:] 大脳皮質への脳幹や視床からのフィードバックループが、一種の教 師信号とは考えられないか? \item [A:] 教師信号と普通の入力信号は区別する必要がある。大脳皮質の場合 は、それがはっきりしないと思われる、明らかな教師信号となるものは今 のところない。 \end{itemize} \begin{itemize} \item [Q:] 脳の情報処理を考える際、スパイクのみに基づいた議論で十分だろ うか?膜電位の閾値下のダイナミクスが重要なことはないのだろうか? \item [A:] 一般の化学シナプスを扱う際には、スパイクを介して情報処理が行 われる。しかし、その場合もバックグラウンドの膜電位の変化がスパイク 発生に影響をおよす可能性がある。さらに、ギャップジャンクションと呼 ばれる電気的な結合が、たとえば、網膜や、下オリーブ核などに存在する ことが知られている。その場合は、膜電位の変化自体に情報がのっている ことになる。また、脳の発達過程においては、ギャップジャンクションがか かわっていることが知られている。 \end{itemize} \begin{thebibliography}{} \bibitem{} 銅谷 賢治.運動学習の神経計算機構:基底核,小脳と大脳皮質.別冊・ 数理科学「脳科学の最前線」,141-152, 1997. \bibitem{} C.~Koch and I.~Segev (editors). Methods in Neuronal Modeling: From Ions to Networks, second edition. MIT Press, 1998. \bibitem{} F.~Rieke, D.~Warland, R.~de~Ruyter van Steveninck, and W.~Bialek. Spikes: Exploring the neuronal code. MIT Press, 1997. \end{thebibliography} \end{document}