タイトル:人間の小脳に獲得される内部モデル      −脳機能イメージングによる検証− 講  師:今水寛 レポータ:瀧公介,上田 一貴  最初に、fMRIでどういう実験ができるのか、また、実験を考える際にキーとなる ことを説明する。それから、小脳に獲得される内部モデルをfMRIで計測したという 話と、またその発展として、小脳に獲得される多重内部モデルについて話をする。 1. fMRIについて  まず、fMRIで脳活動が観察できる原理を簡単に説明する。脳内小血管で酸化ヘモ グロビンが酸素の遊離によって脱酸化ヘモグロビンに変化すると、そのMR信号は 弱まる。ここで、脳の一部で活動が増加すると、酸素消費量の上昇以上に血流量が 上昇し、その結果,脱酸化ヘモグロビンの割合は減少する。これはMR信号に反映 される。すなわち、fMRIは脳局所での活動上昇に伴う血流量の増加を検出している。  次に、fMRIの特徴を述べる。長所としては1)同じ被験者で繰り返し検査可能で ある(cf. PET)、2)空間解像度が高い(cf. PET, MEG)ことなどが挙げられる。空 間解像度については、3mm box 程度にまで達する。逆に、問題点について考える と、まず脳活動による信号上昇は数%程度で、しかもこれを大きく越えるノイズが 乗ってくることに言及しなくてはならない。このため、同じ条件で繰り返しデータ を取り、統計検定をする必要がある。また、その他には、時間・空間フィルターを 用いるので実質的解像度がやや低下することや、頭の動きに弱いので被験者にはマ ウスピースを噛んでもらうなどの工夫を要すること、空気に近い前頭葉下部や耳の 穴周辺などは撮像できないことなどに注意する。 fMRI を使った実験のデザインは、Categorical design、Parametric design, Factorial designなどを挙げることができる。Categorical designは最も基本的な方法で,2 つの実験条件(テスト条件とコントロール条件)を交互に行い、その2つの条件間 で信号値の差をみるものである。2つの条件において認知的・運動的な差異をでき る限り少なくすることに留意する。信号値のベースラインが時間とともに上昇・下 降する現象は避けられないので、短い時間(通常は30秒程度)でテスト条件とコ ントロール条件を交替させる。Parametric designでは、認知的運動的要因を連続 的に変化させる。例えば,被験者に見せる光の強度をいろんな段階で呈示する。光 の強度に応じた脳の領域では、光の強度とMR信号との相関が高く、あまり関係の ない領域では相関が低い。また、実験変数以外に、被験者自身のperformanceの変 化とMR信号の相関を調べることも可能である。Factorial designは、実験条件と認 知的運動的な要因が一対一対応しないものである。例えば、 条件A=要因X+要因Y+要因Z  条件B=要因X  条件C=要因Y (例として X: Reaching, Y: Grasping Z: Coordination) という3条件のデータから、Zに対応する活動をA-B-Cで推測するようなものであ る。問題点としては、信号値上昇が数%でノイズが大きいことが障害になりやすい 点が挙げられる。  fMRIのデータ解析には、線形回帰分析によるSPM (statistical parametric mapping)が最もポピュラーに用いられる。複数のデータを扱うために、前処理とし てrealignmentのあとsmoothingする必要があるが、他人のものと比較するにはそ の間にnormalizationをいれて脳の形を一致させておく必要がある。 質問:fMRIの信号値の上昇をみているものが多いが,MR信号値の減少と神経活動 との関係は? 回答:インフォーマルな場での議論があるが、それに関して発表された論文は知ら ない。 スキャン毎に全体の信号値レベルが違うことがある。それらを合わせるために、解 析の段階で、スキャン毎の平均値をベースレベルにすることがあるが、脳全体の活 動が高すぎる場合などに、差し引きすぎて見せかけの減少があるとも言われている。 2. 小脳に獲得される道具の内部モデル  感覚運動学習において、内部モデルという概念を考えることは有用であり、その 説明はこのスクールで既になされてきた。その内部モデルがどのように学習される かについては「フィードバック誤差学習スキーム」というモデルが提唱されている。 この説明も既になされているが、では、これらは実際の神経生理の何に対応してい るだろうか。小脳皮質の出力細胞はプルキニエ細胞は2種のスパイクを発生するが、 そのうち単純スパイクが内部モデルの活動を反映し、複雑スパイクは誤差信号を反 映していると予測されていて、それはサルを使った神経生理実験で確かめられつつ ある。しかし、従来の脳機能イメージングでは、小脳活動は学習が進むにつれて低 下消失することが示唆されてきた。Raichleら(1994)は名詞から動詞を連想する 課題で、Flamentら(1996)は視覚運動学習課題で、小脳活動が学習とともに低下 することを報告した。これは小脳は学習の初期には重要な役割を果たすが、練習で 獲得された記憶は別の場所で保存されている可能性を支持し、小脳が運動調節に使 用される記憶を担っているという説にとっては不利な証拠であった。しかし、本当 にそうであろうか。計算理論の予測では、小脳に2種類の活動があることを示して いる。一つは誤差信号であり最初は大きいが徐々に減少して漸近的に0に近づく。 もう一つは内部モデルの活動で最初は0だが徐々に大きくなりプラトーに達する。 この考えによると内部モデルの活動を見るためには、小脳活動全体から誤差信号の 活動を差し引く必要がある。これを可能にするために、次のような研究を行った。 新奇な道具の使い方の学習という課題を考え、テスト条件としては120度回転マウ スをベースライン条件として通常マウスを使用した。被験者はまず、11セッション のトレーニングを受け、1セッションは9分23秒で35.2秒毎にテスト条件とベー スライン条件を交互に行った。奇数番目のセッションではfMRIで小脳活動を記録し た。 テスト条件では学習とともにトラッキング誤差が減少し、fMRIでは小脳活動の上昇 した範囲が学習が進むにつれて狭くなる様子が観察された。ここまでは従来のイメ ージングの結果と一致している。  ここで、ベースライン条件でターゲット速度を上げることでトラッキング誤差を テスト条件と揃えることを考えた。誤差Eとターゲット速度Vは  E=aV+b と表される比例関係が成立しており、a, bをもとめれば、あるEをとるVの値が  V=(E-b)/a で求められる。  誤差信号と内部モデルの活動という2種類の活動に関与する小脳部位を回帰分析 を用いて求めることを試みた。すなわち、誤差の統制実験で計測した小脳活動とテ スト条件で1、ベースライン条件で0となるステップ関数の間で回帰分析を行い回 帰係数が有意に0より大きい領域を「内部モデルの活動」に対応する領域、トレー ニング中の小脳活動とトラッキング誤差との間で回帰分析をおこない回帰係数が有 意に0より大きい領域を「誤差信号」を反映する領域とした。  前者と後者の信号値上昇率を比べると、後者では上昇率が急激に下降しトラッキ ング誤差によく相関するのに対し、前者では上昇率の低下が少なく、誤差成分だけ では説明できない成分を含んでいることが示唆された。この成分は学習に伴って上 昇する理論的な内部モデルの活動の曲線に近似しており、内部モデルの活動を反映 していると考えられる。 また、この2種類の活動がfMRI信号に反映される機構について考える。誤差を反映 する活動は登場繊維入力が複雑スパイクを発生させることによるもので、小脳で最 もエネルギーを消費する活動であり、大きな信号として観察されるのも自然なこと である。一方、内部モデルを反映する活動は、単純スパイク発火頻度が時間ととも に増加・減少することを必要とし、そのようなmodulationのもとになるシナプス のpotentiationなどは代謝活動の増加を引き起こすだろう。  次に、獲得された内部モデルが何を反映しているかについて考える。従来、内部 モデルという考え方は、運動制御の方から出てきたものであり、筋骨格系などの身 体の内部モデルの獲得について研究されてきた。しかし、本研究において被験者が 学習したのは、単純な運動ではなく、外部世界の一種のルール(マウスとカーソル の間の関係)である。今回みられた活動というのは、既に本スクールでも紹介され た順モデル・逆モデルの両方が反映していると考えられる。つまり、マウスの位置 とカーソルの位置の表現するような順逆キネマティクスを学習したと言える。今回 活動が残った小脳領域は、運動前野,頭頂部からの平行繊維入力があることが知ら れている(Sasaki et al. 1977)。このことからも、被験者が順逆キネマティクスを獲 得したと考えられる。  今回獲得された内部モデルは、筋骨格系の内部モデルではなく、あくまで「道具」 の内部モデルと考えられる。その理由としては、本論文(Imamizu et al. 2000)にも 書いてあるように、今回活動が残った小脳領域は、手や足を動かしただけでは活動 しないという点が挙げられる。また、残った小脳活動が両側性の活動であるという 点も重要である。通常、小脳は動かした手と同側の中間部が活動することが知られ ている。行動レベルでは「両手間転移」もみられる。運動器官の動かし方そのもの を学習したのではなく、もう少しアブストラクトのレベルで学習したために、もう 一方の手に影響を与えたと考えられる。実際、今回の実験においても、容易に両手 間転移が起こっている。 質問:今回の内部モデルでは何が入力で何が出力なのか? 回答:回転マウスの内部モデルが1つの内部モデルに対応すると考えると、入力が マウスの位置(視覚、体性感覚から入力)で、出力が画面上のカーソルの位置であ る。ただし、これはあくまでもモデルとして一番単純なものであって、これが1つ の内部モデルとして獲得されているのか、いくつかのモデルをシリアルに繋いでい るのかまでは分からない。 質問:「道具」の内部モデルというより、もっと広義の「座標変換」の内部モデルで はないのか? (回転マウスの学習後、回転タブレットでもできる) 回答:運動をしないメンタルローテーションの座標変換とは異なり、運動制御と結 びついた座標変換の内部モデルと考えられる。 質問:今回の実験では小脳の活動をみているが、学習に伴う大脳皮質の活動につい ては? 回答:今回は小脳についてしか調べてないが、先行研究では、finger opposition task で、習得するにつれて運動野の活動が上昇してくるということが言われている。 質問:今回の実験ではマウスの回転が120度だが、回転が90度にするとどうなる のか? 回答:現在やっているところであるが、これら(120度と90度)で小脳の活動部 位が違ってくるとかなりconsistentなデータになると期待している。 質問:最後まで活動している小脳領域がどの神経群か分かっているのか? 回答:ヒトの外側部の出力についてはよく分かっていない。 3.小脳に構成される多重内部モデル  人間はいろいろな道具を混乱なく使い分けたり、組み合わせて使うことができる が、実験レベルで、道具の変換の種類を変えたら、活動部位が変わるかということ を考える。1つの内部モデルだけが存在しているのではなくて、複数の内部モデル が混在していると、ある程度、外環境が変化してもうまく適応できると考えられる。 そこで、内部モデルの多重性を検証する実験を行った。回転マウスと速度変換マウ スを用いて先程と同様の実験を行った。ここでいう速度変換マウスはマウスの位置 が速度を制御するというものである。行動レベルをみるとどちらも学習ができるこ とが確かめられた。回転マウスと速度変換マウスを交互に行わせた場合、これらの モジュールの切り替えがうまくできない場合にはトラッキング誤差の時間変化には after effectが生じると予測できるが、切り替えがうまくできる場合にはafter effect が生じないと考えられる。実際の行動レベルの結果では、after effectはみられな かった。また、回転マウスと速度変換マウス学習後では、小脳活動領域が異なって いた。これらのことから、小脳に複数の内部モデルが構成されていると考えられる。