神経科学の古典的常識は、ニューロンのスパイク発火の頻度が、感覚信号 や運動指令などの情報を表しているというものであり、少なくとも1次感覚ニュー ロンや運動ニューロンではそのことは疑いない。しかし、大脳皮質の神経細胞
のスパイク間隔を解析すると、そこには非常に大きなばらつきが見られ、発火 頻度で情報をコードするには、多数の細胞の集団平均や時間平均を行う必要が あるという難点も指摘されている。
まず前半の23日、24日の2日間は、脳内の多数の細胞の集団において、 どのような情報表現が望ましいものであり、またそれらの間の変換がいかに可 能になるかについて検討する。
さらに後半の25日、26日の2日間は、複数の神経細胞のスパイクの時間 的な関係が、何らかの情報表現と処理に使われているという可能性について、 単一神経細胞と局所回路のダイナミクス、そして複数電極による脳活動記録を
もとに検討を行う。
初日はまず、今回のサマースクールのテーマである「大脳皮質の情報表現」 に関して、基本的な実験事実と理論モデルを概観し、問題提起を行う。また今 後4日間の講義とディスカッションの基盤を揃えるために、数理的基礎概念の 導入を行う。
脳の情報表現:発火周波数,時間パターンと細胞モデル
銅谷 賢治 (科学技術振興事業団 ERATO 川人学習動態脳プロジェクト)
神経細胞による情報表現に関しては、
など、様々な可能性があり、これらの存在を示唆する実験的研究と、それらの 特質と生成メカニズムの理論的研究が行われている。 この講義では、大脳皮質の情報表現に関する実験データと数理モデルを幅広レ ビューし、翌日以降の議論のベースを築くとともに、特に注目すべき論点をい くつか提起する。
- 個々の細胞の発火周波数がある情報をコードしている
- 細胞集団の発火周波数の空間パターンが情報をコードしている
- 個々の細胞あるいは集団の発火の時間パターンが情報をコードしている
数学的準備体操:数理的基盤と計算の実際
村田 昇 (理化学研究所 脳科学総合研究センター)
脳の情報表現の解析とモデル化に必要な数理的概念、特に
について解説し、演習を通して理解を深める。
- 神経回路の数理モデル
- 情報理論の基礎
- 統計的推測の基礎
神経細胞の選択特性は、特に視覚野の細胞において良く研究され、それらは 必ずしも固定的なものではなく、視覚環境に依存して決まることが知られてい る。特に最近、細胞集団の選択特性の分布を、感覚情報をいかに効率良く伝達 するか、という見地に立った情報理論的なアプローチが試みられており、そ れ らを実験データに沿って検討する。
脳内情報表現への情報理論的アプローチ
阪口 豊 (電気通信大学 大学院 情報システム学研究科)
樺島祥介 (東京工業大学大学院 総合理工学研究科)
脳における情報表現機構の自己形成に関しては,70年代から数多くのモデル が提案されているが,近年,この問題を情報理論的な最大・最小化原理の視点 からアプローチする研究が活発化している.これらの研究では,視覚野で一般 的に見られるGabor型の受容野構造の形成に加え,end-stop cell や contextual modulation の発現を説明しようとする試みも見られる.
本講義では初期視覚野の受容野形成モデルに対象として,これらの研究の流 れについて解説する.キーワードとして,informax theory, redundancy reduction, ICA,sparse coding, predictive coding をあげておく.
一次視覚野の特徴抽出性の形成メカニズムとニューロン活動の統合
佐藤宏道 (大阪大学健康体育部)
ネコやサルのV1の個々のニューロンが示す刺激方位選択性などの特徴抽出性 がどのような入力メカニズムによって形成されているのか、視野の広範囲に刺激が存 在しているときにニューロンは応答特性をどのように変化させるのかについて、これ までの生理学研究の成果を解説します。これらの問題は、大脳皮質の機能構築のあり かたを理解する上できわめて重要で、その成果は広く大脳皮質全体に敷衍することが できると思います。
側頭葉ニューロンの視覚刺激に対する応答の情報量解析 -情報表現の時間変化-
菅生康子 (生命工学工業技術研究所)
サル側頭葉のニューロンの視覚刺激(顔など38枚)に対する応答を記録し、 その応答から各々のニューロンがコードする情報量を計算した。その結果、 視覚刺激のもつ複数の情報が発火パターンに時間をわけてコードされていた。 おおまかな情報(顔かどうか、など)はニューロンの応答開始と共にコード され、詳細な情報(個体や表情の違い)はそれに遅れてコードされているこ とが示唆された。
解析の過程で、情報量の計算方法、情報の有意性の検定、少ない刺激回数に よるバイアスの修正などの問題に遭遇した。それらの問題を、情報量の計算 方法を確立する上での検討材料として提供したい。 以上、問題点や結果を説明しながら、情報量解析とそこから得られる結果に ついての理論的・実際的な考察のための教材を提供する。
隠れ状態,最尤推定と反復解法 --EM アルゴリズムと Wake-Sleep アルゴリズム--
池田思朗 (科学技術振興事業団 さきがけ研究21)
隠れ状態とは外部から直接観測できない状態のことである.脳において,皮質 間あるいは皮質の異なる領野間の情報伝達は隠れ状態を導入することで,情報 理論的な理解が深まる.講義では隠れ状態の概念をニューラルネットや他の統 計モデルの例を交えて解説し,背景となる統計学の手法やニューラルネットの 手法を紹介する.
近年、視覚野の細胞の選択特定は必ずしも固定的なものではなく、刺激提示 後の時間経過や、受容野の外の刺激の構造により変化することが知られるよう になった。このことから、画像のセグメンテーションなど、感覚入力の下に潜 む構造の推定が、皮質内、あるいは皮質の異なる領野をつなぐ回路のダイナミ クスによって行われているという仮説を検討する。
視覚における脳内表現
小松英彦 (岡崎国立共同研究機構生理学研究所高次神経性調節部門 総合研究大学院大学生命科学研究科)
大脳皮質を中心とする視覚情報処理研究の発展を概観し、これからの方向の展望についての私自身の考えを述べるつもりです。以下のようなトピックを取り上げます。
- 特徴分析器としての視覚神経系の働きの理解
- 並列分散処理の概念の成立とその後の展開
- 分散処理された情報の統合と、そこでのグローバルな情報とローカルな情報の関係の問題
隠れ状態とマルコフランダム場
岡田真人 (科学技術振興事業団 ERATO 川人学習動態脳プロジェクト)
標準正則化理論にもとづく表面再構成の計算理論を説明し,3次元視覚世界の 再構成のためには,画像に直接含まれない隠れ状態を導入する必要性を述べる. 隠れ状態を用いた典型的なモデルである結合マルコフランダム場モデルと,そ のモデルをスパイクの同期・非同期を用いて実現する神経回路モデルを参加者 と共に議論する.
多くの神経回路モデルにおいては、入力の瞬時値の線形和の単調増加関数に より出力を与えるというニューロンモデルが想定されているが、実際の神経細 胞は、多種類のイオンチャネルや細胞内伝達系を含む複雑なダイナミクスを持 つ。ここでは、生理学、解剖学的知見に基づいた細胞モデルとそのネットワー クが、どのようなダイナミックな振る舞いを持つかについて実験的に検討を行 う。
単一神経細胞の電気生理とモデル
高木博(信州大学医学部加齢適応研究センター 神経可塑性分野)
神経細胞の樹状突起は従来一部の特別な細胞(例えば小脳プルキンエ細胞)を除きパッシブなものであると考えられていた。ところが最近になってむしろパッシブなもののほうが希であり、大部分の神経細胞の樹状突起はアクチブなものであることが判ってきた。記憶の座として知られる海馬の神経細胞の樹状突起もアクチブであることが最近の報告で明らかにされてきている。この結果は海馬や小脳でみられるシナプス可塑性の原因を単なる「シナプス説」だけで説明出来ないことを示唆している。これらの経緯に基づき私は計算論的手法(コンパートメントモデルに基づくシミュレーション)、電気生理学法(多点同時記録法)及び画像生理学法(高速カルシウムイメージング法)により海馬及び小脳神経細胞のアクチブデンドライトの新しい機能を検索することを試みている。本講義ではこれらについて概説させて頂く。
ダイナミックなシナプスと神経回路機能
深井朋樹 (東海大学工学部電子工学科)
ヘッブにより活動依存型のシナプス学習ルールが提案されてからすでに半世紀が過 ぎようとしている。、近年MarkramやSakmannらは、大脳皮質の錐体細胞ではシナプス の長期増強や長期抑圧が、シナプス後電位と活動電位発生のミリ秒レベルでの時間差 に依存して決まることを示し、さらにPooらは、可塑的変化の大きさと時間差の関係 を、実験により求めている。またもっと速い時間スケールで起きるシナプスの伝達効 率の増強や減衰の存在も明らかにされ、またそれらのシナプスの機能的役割を探るモ デルもいくつか提案されている。この時間はこれらの話題について検討する。
大脳皮質の神経回路
金子武嗣 (京都大学大学院 医学研究科 高次脳形態学)
以下のような項目に分けて、話してみようと思います。
加えて、随所に神経形態学の方法論を交えて具体的な講義にする予定です。
- 大脳皮質の構成要素
- 大脳皮質の入出力の構成
- 大脳皮質の局所神経回路
- 大脳皮質の階層性
ニューロン・ネットワークの同期・非同期から見たダイナミクス
青柳 富誌生 (京都大学大学院・情報学研究科・数理工学専攻)
最初に同期・非同期がなぜ問題なになっているのかに関し簡単な解説を行ない、 いくつかの関連モデルを紹介する。
また、実際の実験から得られるコンダクタンスベースのモデル(Hodgkin-Huxley model等) に関して、同期・非同期のダイナミクスの観点から概観する。 特にその際、位相ダイナミクスの観点でニューロンの力学系を解析すると、ある種の イオンチャンネルのスパイク同期に対する役割などが明らかになる例を紹介する。
脳での情報処理メカニズムの近年の研究においては、従来の単一細胞の平均 発火率の変動から複数細胞のネットワークでの細胞間の関係性の変化へと関心 が移っている。特に、複数細胞間でのスパイク発火の時間的関係性を情報コー
ドとするパラダイムが注目されている。この新たな仮説の実験的検証のために は、複数の細胞のスパイク活動を同時に記録する技術の進展が不可欠である。
まず、実際の実験方法、得られた多細胞データの統計解析法のレビュー を行なった後、この分野での理論・実験解析双方に渡っての権威である Aertsen教授による総合的な概説を企画している。特に、発火率とスパイク相
関による二重符号化の可能性やダイナミックに変動する細胞間のeffective connectivityなどに関する話題を十分に時間を割いてお話し頂く予定である。
また実習では、実際の多細胞記録データから統計解析を行なう演習を予定して いる。
多細胞同時記録実験の必要性と方法−現状と問題点−
櫻井芳雄 (京都大学霊長類研究所, 岡崎国立共同研究機構生理学研究所, 科学技術振興事業団さきがけ研究21)
脳内では何が情報をコードしているのか,未だ謎である。しかし最近の実験事実や理論的 考察から,協調的ニューロン集団の活動である可能性が高い。そのようなニューロン集団 が示す時空間的な協調活動を実験的に検出しようとする試みが,多細胞同時記録である。 今回は,そのような実験に至る問題意識,実際の記録のための技術,そして今後の問題点 や展望について簡単に解説する。
多細胞同時記録データの統計解析法 ―現状と問題点―
伊藤浩之 (京都産業大学工学部情報通信工学科)
システムレベルでの皮質の情報処理メカニズムの解明には、多細胞同時記録実験と生理学 的にplausibleな皮質のネットワークモデルとの有機的な研究が不可欠である。この二つ の研究をつなぐためのツール(言語)としてデータの解析法は存在し、皮質での情報処理 メカニズムを我々が記述し、理解するためには本質的である。講義では、現在までに提唱 された解析法をレビューし、特徴と問題点を検討する。また、実験データから脳での現象 の逆推定は、一意的には決まらない困難さがあり、何らかの制約を研究者自らが設定する 必要がある。
Cortical Dynamics and Neural Computation - Experiments, Analysis and Models
Ad Aertsen (Freiburg University)
「なぜ複数細胞から同時記録されたスパイクデータの発火タイミングの相関を解析する必要があるのか」、effective connectivity の概念とその非定常性の意味、unitary event analysis, synfire chain, ネットワークモデルのコンピュータシミュレーションによるeffective connectivityの本質の解明。理論 - 解析 - 実験という3つの研究レベルを有機的に組み合わせたグローバル(システム)レベルでの脳研究の例を説明する。「何が我々の情報符号化パラダイムか?」、「我々のパラダイムを検証するためには、どのような統計解析法を用いたら良いのか?」、「実際の実験データは何を示唆するのか?」などの問題を十分な時間を使って全体像を説明する。講義終了後には、講師と学生が一体となったdiscussion の時間を準備している。脳というexciting であるが深遠な研究対象に関して、今後の将来像などを本音で語り合いたいと考える。(伊藤浩之)
約2人ずつのチームを作り,最終日に仮想的な研究計画を発表する.
を,手書きOHP4枚以内,約5分程度でまとめ,ディスカッションを行う.
- 何を問題とるすのか.
- どんな実験手法・データを用いるのか.
- どんな解析手法・モデルを用いるのか.
- 何がわかることになるのか.
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